0166
岸田劉生 (きしだりゅうせい) |
明治24年(一八九一)〜昭和4年(一九二九)東京に生れ、山口県徳山で歿。岸田吟香の四男。 |
明治41年葵橋白馬会研究所で学んだ。第4回文展に初入選の『馬小屋』『若杉』は外光派的作風であったが、雑誌『白樺』などで紹介された後期印象派を知り、大正元年高村光太郎、斉藤与里らとフュウザン会を興した。しかし間もなく厳密鋭利なデューラ−ら北方ルネッサンス様式の影響を受け、克明な写実と深みのある精神表現を追求した。大正4年草土社を主宰し、重苦しく克明な写実主義は画壇に大きな影響をおよぼした。草や木や石塊を一つ一つ描いた『切通しの写生』(東京国立近代美術館)、神秘的な静物画、後期の自分の娘をモデルとした一連の『麗子像』など多くの作品を発表した。大正11年春陽会客員として参加。大正末期からしだいに初期肉筆浮世絵や宋元画に傾倒し、画風も東洋的な味わいを加えた。晩期には独自の鋭さのある日本画も制作することも多くなった。また著書に『劉生画集及芸術観』『図画教育論』『初期肉筆浮世絵』などがある。 |
番号 |
書目名 |
詳細 |
著者 |
出版社 |
刊年 |
価格 |