0052

柴田是真

(しばたぜしん)

文化4年(一八○七)〜明治24年(一八九一)幼名を亀太郎、のちに順蔵。字は儃然、別号を令哉、対柳居、沈柳亭など。

はじめ古満寛哉に蒔絵を学び、のち四条派の鈴木南嶺に学んだ。天保元年に南嶺の紹介で京都の岡本豊彦についた。京都では香川景樹に国学を、頼山陽に漢字を、茶道を吉田宗意に学ぶ。画は是真一流を築いた。明治23年帝室技芸員となった。代表作は「瀑布図屏風」「富士田子の浦の図」。また蒔絵と漆絵に独特の作風で明治漆工界に貢献した。漆絵の代表作「烏鷲蒔絵菓子器」(東京国立博物館)がある。